「二郎さんじゃなかった」ラーメン二郎の店名由来に衝撃【グルメ豆知識】

投稿日:2018/09/09 11:02 更新日:

大きなチャーシューや野菜が背脂とともに山のように盛られたビジュアルと呪文のように唱えるカスタマイズトッピングなど独特のスタイルが話題を呼ぶ「ラーメン二郎」。「ラーメン二郎」を愛するファンに「ジロリアン」と名称が付くほど一部の層に熱狂的な人気があり、近年は「二郎インスパイア系」と呼ばれるラーメンを提供する店舗が増えるなど「ラーメン二郎」のラーメンはカテゴリのひとつとして認知されています。この「ラーメン二郎」ですが、店名にある「二郎」とは一体誰なのか知らない人は意外に多いのかもしれません。今回は「ラーメン二郎」の店名の由来に迫ってみました。

(文:GourmetBiz編集部 / 監修:田中一明)

創業者は「二郎」ではない

「ラーメン二郎」が誕生したのは1968年(昭和43年)。今からおよそ50年前、都立大学駅近くに「ラーメン次郎」の名前で開店しました。同じ年には、日清食品がCM「あ〜らよ出前一丁」のフレーズとともにインスタントラーメン「出前一丁」を発売しています。ちなみに「チキンラーメン」は、その10年前の1958年(昭和33年)に発売されています。また、エースコックの代表作「ワンタンメン」(インスタント)が1963年(昭和38年)に発売されていることなどから1960年前後は「家庭で簡単にラーメンを食べる」市場が大きく動き出した時代と考えられます。
「ラーメン二郎」は開業当初「ラーメン次郎」という店名でオープンしました。これは開業前年の1967年にエースコックが発売した「ラーメン太郎」からヒントを得てネーミングしたとされています。ちなみに創業者のお名前は「山田拓美」さんです。
この時点で「二郎って創業者の名前じゃなかったんだ!」と驚かれる方も多いかと思いますが、驚きは更に続きます。

業者のミスで「次郎」が「二郎」に

業者のミスで「次郎」が「二郎」に
都立大学駅にオープンした「ラーメン次郎」ですが、都市計画などで移転を何度か繰り返しています。最初の移転時に看板を用意した業者が誤って「ラーメン次郎」と書くところを「ラーメン二郎」と書いてしまったことから店名の変更を余儀なくされ、そのまま現在に至るまで「ラーメン二郎」を正式な店名として採用しています。なんと、店主の意志とは関係のないところで店名は変わってしまったのです。看板のやり直しよりも営業を優先するところに、ラーメン店ならではの気合いを感じます。現在のところ、こちらの本店は「ラーメン二郎 三田本店」として、東京都港区三田の桜田通り沿い(慶應義塾大学正門近く)にあり、連日ジロリアン達で賑わっています。

直営・インスパイア系などラーメン界必須のカテゴリに発展

「ラーメン二郎」は、その後本店出身者やその弟子などが独立し店舗を展開していきます。これはいわゆる「直系」と呼ばれる店舗で、そのほかにも「ラーメン二郎」に似せて作られた「二郎インスパイア系」と呼ばれる店舗が続々オープンしています。近年は、インスパイア系で修行した人がさらに独立するなど、さらなる拡がりをみせています。


こちらは、ラーメン官僚の名で知られる田中一明さんが二郎インスパイア系で「この店はマスト」と評価するJR淵野辺駅「麺屋歩夢」。2018年4月にオープンして以来ずっと堅調な人気ぶりを誇っています。


二郎インスパイア系のマスト店「麺屋歩夢」

詳しい記事はこちら↓にございます。

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今回のグルメ豆知識を監修いただいた田中一明さんのプロフィール

田中一明(通称・ラーメン官僚かずあっきぃ)
1972年生まれ。東大卒の現役官僚でありながら「超・ラーメンフリーク」として年間700杯を超えるラーメンを、エリアを問わず実食。現在までの通算杯数は14,000杯に迫る。テレビ番組への出演や、雑誌やムック本の監修を行ない、ラーメン情報を精力的に発信している。「アウトプットは、着実なインプットの土台があってこそ説得力を持つ」という信条を持ち、新店から老舗に至るまで、47都道府県の店舗を探訪。信頼度の高さに定評がある。

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